同仁会の歴史
創設期 1950年代
誕生時の臨海学園
戦争の傷あとを生々しく残す、1945年(昭和20年代)初め。
誰しも飢えと欠乏の真っ只中で、暴動寸前の騒然とした状況が続く中、同仁会の創立者である故・遠藤光静は、上野駅地下道にたむろする真っ黒な浮浪児の姿を見て心を痛め、「何か役に立てないものか」と自身の非力を嘆いていました。
創設者理事長 遠藤 光静
そんな折、旧松岡町役場の方から「養護施設をやってみないか」と言われたことを機に、己の道を見つけ施設創設に向け走り出します。公的融資制度もない時代、ましてや自分たちが食べていくのも精一杯という中で福祉事業に対する理解は求める方が無理というもの。それでも支援を募り、敷地も提供いただいて工事に着手。開園への見通しが立ったのは3年目のことでした。
そして工事が8割がた進んだ頃、悪夢のように火災に見舞われます。建物は全焼。それでも支援いただいた方の恩顧を無駄に終わらせるわけにはいかないと奮起し、半年も立たずに再建。私立高萩臨海学園は1952年6月24日に認可を受けました。
やっと開設に漕ぎ着けたものの、「食べる」「着る」がやっとの生活が何年も続きました。子どもの食費は1日42円。また再建で使用したのは老朽化した校舎だったため、隙間風や雨漏りで寝つかれない日もたびたびでした。それでも職員と子どもたちが一緒になって、みんなで生活をより良いものにしようと助け合い、ギリギリの生活をしのいだのでした。
1951年 | 昭和26年 | 施設建物建築工事を着工 施設は完成目前(竣工率80%)の翌年1月12日原因不明の火災により全焼 |
1952年 | 昭和27年 | 旧秋山小学校の払い下げ材を使用し、施設を再建 6月24日に茨城県より認可を受け、私立「高萩臨海学園」が誕生 定員40名 遠藤光静が園長となる |
1955年 | 昭和30年 | 高萩臨海学園の定員を50名に増員 |
整備・拡充期 1960-1970年代
日立乳児院
1962年 | 昭和37年 | 社会福祉法人「高萩臨海学園」認可 |
1964年 | 昭和39年 | 建物の全面改築(日本自転車振興会) |
1967年 | 昭和42年 | 法人名を「同仁会」、施設名を「臨海学園」に変更 乳児預かり所「日立乳児院」茨城県より認可 定員9名 乳児預かり所を増築し、乳児院認可 定員13名 |
1968年 | 昭和43年 | 「同仁東保育園」茨城県より認可 定員60名 |
1976年 | 昭和51年 | 日立乳児院を日立市から高萩市へ移転改築 日立乳児院を「同仁会乳児院」と改称 定員も24名に増員 |
1950年代(昭和25年)後半に入ると、茨城県内でも次々と社会福祉法人が設立。念願かなって1962年(昭和37年)に臨海学園も法人設立の運びとなり、社会福祉法人高萩臨海学園が誕生しました。そして法人格が与えられると同時に、長年オンボロ施設で耐えてきたのを見かねたように施設改築の補助金交付を受けることができ、全面改築。新築の建物に移り住むことができたのは、開設から12年目が経過した1964年(昭和39年)のことでした。
同仁東保育園
同じ頃、乳児院と保育園の設置に関して市や地域の方々から要望をいただき、事業拡大に踏み切ります。乳児院の誕生が1967年(昭和42年)4月、同仁東保育園の誕生が1968年(昭和43年)4月のこと。合わせて1967年(昭和42年)に法人名を「同仁会」と改称しました。
変革期 1980-1990年代
開設当時の内原和敬寮
3つの施設は改築や増築、増員を続け、「高萩臨海学園」の設立から30年が経過。法人としても安定し、同仁東保育園では0歳児保育や障害児保育など新たな取り組みも次々とスタートしました。そんな中、創立者である遠藤光静が逝去。また女性の社会進出とともに子どもを取り巻く環境が変化を遂げ、同仁会としても変革の時を迎えます。
1997年(平成9年)には高萩市より放課後児童健全育成事業の委託を受け、学童クラブ「ゆうゆうクラブ」を開設。1999年(平成11年)には、臨海学園と同仁会乳児院を合築し、さらに同仁会児童家庭支援センターを併設した「同仁会子どもセンター」が誕生しました。
1994年 | 平成6年 | 創設者理事長 遠藤光静 逝去 遠藤光洋が理事長に就任 |
1995年 | 平成7年 | 同仁会乳児院の定員を30名に増員 |
1997年 | 平成9年 | 高萩市より放課後児童健全育成事業の委託を受け、学童クラブ「ゆうゆうクラブ」を開設 |
1999年 | 平成11年 | 「同仁会子どもセンター」竣工 臨海学園と同仁会乳児院を合築し、同仁会児童家庭支援センターを併設 |
2000年 | 平成12年 | 臨海学園の定員を70名に増員 同仁会乳児院の定員を35名に増員 |
2001年 | 平成13年 | 臨海学園の定員を80名に増員 同仁会乳児院の定員を40名に増員 児童養護施設「同仁会子どもホーム」開設 |
2003年 | 平成15年 | 創立50周年記念祝賀会を開催 水戸市(旧内原町)に児童養護施設「内原和敬寮」、情緒障害児短期治療施設「内原深敬寮」を開設 「内原同仁会子どもセンター」と呼称 |
2004年 | 平成16年 | 同仁東保育園の定員を120名に増員 |
2005年 | 平成17年 | 臨海学園の定員を70名に減員 |
第二拡充期 2000年代
くれよんクラブ高萩
2001年(平成13年)には乳児院の跡地に児童養護施設「同仁会子どもホーム」を開設。そして2002年(平成14年)には創立50周年という大きな節目を迎え、同仁会はエリア拡大という新たなチャレンジに漕ぎ出します。2003年(平成15年)には水戸市に児童養護施設の「内原和敬寮」と、情緒障害児短期治療施設「内原深敬寮」を開設。2011年(平成23年)にはつくば市に児童養護施設「つくば香風寮」と乳児院「さくらの森乳児院」を開設しました。
また直近では障害福祉分野にも進出。2019年(令和元年)にはつくば市に発達障害者支援センター「COLORSつくば」、高萩市に障害者通所支援事業所「くれよんクラブ高萩」をオープン。これまでに培ってきた経験と実績をもとに、新たなチャレンジを続けています。
2007年 | 平成19年 | 4月 内原深敬寮 計画定員40名(通所5名・入所35名) |
2008年 | 平成20年 | 3月 同仁会 法人中長期経営計画策定 |
2009年 | 平成21年 | 4月 同仁会 地域子育て支援拠点事業独立 4月 同仁会 一時預かり保育事業独立 |
2011年 | 平成23年 | 4月 臨海学園 定員40名に減員 4月 同仁会乳児院 定員20名に減員 4月 同仁会子どもホーム ユニット棟竣工・開設 4月 つくば香風寮 児童養護施設「つくば香風寮」開所、 定員30名 4月 さくらの森乳児院 乳児院「さくらの森乳児院」開所、 定員20名 4月 同仁会 一時預かり保育事業を保育園に統合 |
2012年 | 平成24年 | 5月 内原深敬寮 施設建物改築のため体育館解体撤去 |
2013年 | 平成25年 | 3月 内原深敬寮 内原深敬寮全面改築・竣工(県補助事業) 旧深敬寮建物解体撤去 4月 内原深敬寮 高校生の措置受入開始 |
2014年 | 平成26年 | 2月 内原和敬寮 内原和敬寮全面改築・竣工(県補助事業) 3月 内原和敬寮 旧和敬寮建物解体撤去 4月 臨海学園 定員30名に減員 4月 内原和敬寮 定員42名に増員 |
2015年 | 平成27年 | 4月 臨海学園 定員29名に減員 4月 内原和敬寮 定員40名に減員 |
2016年 | 平成28年 | 4月 同仁会子どもホーム定員25名に減員 |
2017年 | 平成29年 | 4月 臨海学園 定員30名に増員 11月 内原和敬寮 児童養護施設退所者等アフターケア事業を茨城県から受託 |
2018年 | 平成30年 | 3月 第二期法人中長期経営計画策定 4月 同仁会子どもホーム 「同仁会児童家庭支援センター」の付置 |
2019年 | 平成31年 | 1月 発達障害者支援センター事業を茨城県から受託「COLORSつくば」 3月 くれよんクラブ高萩事業所新築・竣工(高萩市補助事業) 4月 障害児通所支援事業「くれよんクラブ高萩」開所・ 定員10名 |
2019年 | 令和元年 | 6月 塩澤幸一 第三代理事長就任 11月 内原和敬寮 里親リクルート事業を茨城県から受託 11月 つくば香風寮 里親リクルート事業を茨城県から受託 11月 COLORSつくば事業所新築・竣工(自主財源) 12月 内原深敬寮学校棟全面改築・竣工(自主財源) |
2020年 | 令和2年 | 5月 児童家庭支援センターあいびー新築・竣工(県補助事業) 6月 「児童家庭支援センターあいびー」開所 |
2022年 | 令和4年 | 2月 児童家庭支援センターあいびー 里親等訪問支援事業を茨城県から受託 2月 さくらの森乳児院 里親等訪問支援事業を茨城県から受託 3月 同仁会子どもホーム ユニット棟増築 4月 里親養育包括支援事業(フォスタリング事業)を茨城県から受託(他法人と共同受託) 4月 同仁東保育園 保育所型認定こども園に移行(定員135名に増員) 4月 くれよんクラブ高萩 保育所等訪問支援事業開始 6月 同仁会子どもセンター大規模修繕工事完了(臨海学園及び同仁会乳児院のオールユニット化) |
2024年 | 令和6年 | 2月 さくらの森乳児院増改築工事完了(オールユニット化) |